治療方針転換、眼球摘出

しばらく、日記を書くことができないでいました。

それは、娘の治療方針を保存から摘出と、方針を変えるために、時間を使う必要があったこと、主に私が方針転換を決めかね、ふさぎ込んだりといろいろあったからです。

最終的には、昨日、娘の眼球を摘出する手術を受け、無事に終えることができました。
摘出した眼球の表面上の所見は、明らかな湿潤は無かったというものでした。2週間後に病理検査の結果が出て、湿潤の有無がはっきりしますが、まずは一安心でした。
摘出された眼球を見せていただきましたが、きれいでした。摘出され、ホルマリン漬けの眼球で、その中にガンがあるはずなのですが、表面上はきれいで、私にとっては娘の目で、いままでありがとうという気持ちで見つめていました。いとおしいと感じました。
手術は午前中で、帰った娘はいつもと違う様子で泣きじゃくって、しばらく落ち着きませんでしたが、夕方になる頃にはほとんど普段と変わらない様子で寝返りしたり、遊んだりしていました。

方針転換に至るまでの経緯

当初は、保存の方針で治療していました。
しかし、前回の治療の際に行った全身麻酔下での眼底検査で、視神経乳頭部を覆い隠す石灰化組織がある状態となってしまったことがわかり、このためにガンの転移の危険性を計ることができない状況だと、先生から説明され、結局これが方針転換の決定打となったのでした。
これは前の日記に書いた状況のことです。

ただ、腫瘍が視神経の手前あり、覆い隠している状況で、これが気がかりな点だといわれています。
というのは、網膜芽細胞腫が転移する経路は、視神経か血管を通って外に出るそうなのですが、大部分が視神経に湿潤(しつじゅん、がん細胞が正常な細胞の間に入り込んでいくこと)することが原因になるそうでした。なお、湿潤が100%転移に結びつくわけではなく、湿潤した20から30%程度が転移を起こすということだそうです。湿潤のリスクを計るには、腫瘍が視神経の近くにあるか、視神経に触れているかがポイントになりますが、それが眼底検査では見て取れないということで、リスクがあるということでした。ついたてのように覆いかぶさっているだけで視神経に触れていないかもしれませんが、視神経にくっついていて湿潤の恐れが懸念される状況かもしれないのですが、これが見えていないので、リスクを計れないということです。

これを書いた当時、私は治療方針を変えることをまったく考えていませんでした。


退院後、1週間ほど経って、方針転換を言い出したのは妻でした。
湿潤すれば、転移の有無にかかわらず、強力な抗がん剤放射線を使った治療をしなければならない。そうなってからでは遅いと。見えない部分のリスクに命をかけられないというのが妻の意見でした。

転移は結局どこかで腫瘍が育って大きくならないとわからないらしいので、湿潤有り=強力な抗がん剤治療決定ということになるんですね。そうなれば、大変な副作用、その後の二次がんのリスクなども一緒に背負い込むことになってしまう。

妻の意見はまったく正しく、保存治療の成果が良く、保存の可能性が高いと信じていた私を相当悩ませました。保存治療は命を天秤にかけることに他ならないから、この状況で保存治療の正しさを主張するのは無理といえるからです。
見えない部分があれば、石灰化した邪魔者を何とかして取ってしまえばいい。実はそう考え、他の先生に意見を求めて受診もしました。
硝子体手術といって、目の中を手術するということもあるにはあるのですが、目のガンである網膜芽細胞腫には、手術をすることによって、がん細胞が目の外へ散ってしまう恐れがあるために、手術はタブーでした。目は硬い膜で包まれているので、そのいわばバリアを傷つけることになってしまうからです。散ってしまえば、近くに脳があり、もし転移すれば大変なことになります。。。
それでも何か手は無いか、そういう望みをかけての受診でしたが、実際、網膜芽細胞腫に対する硝子体手術の症例は過去をさかのぼっても国内では数件のようで、そのような賭けを、娘の視神経乳頭部を見るためだけに行うことはできませんでした。


その後、私が悩みすぎて、一時期私からは話し合いができずに時間をすごし、妻にその状況を責められて、言い合いになったり、つらい状況でした。

肝心な部分が見えない、それがきっかけで、保存できるかもしれない(と私個人が判断している)娘の目を摘出する。。。とても受け入れられませんでした。

夫婦の意見として、摘出の方針にしようと、一旦は決めたのですが、その後でさえ、私個人の思いは保存できるのではないかということに囚われていました。
片目となる娘に待っているかもしれない、困難。そして、それにさらされる娘。
そうやって成長した娘が、保存できたのではないかと私に投げかける。
または、保存を続けて、不幸にも転移して、娘が亡くなってしまったら。妻は私を責めるだろう。
そんなことも考え、悩みました。


最終的に摘出のお願いを先生にしたのが手術前日でした。


父親として、娘の命の危険はこれ以上冒せない。
私の大事な妻にとっても一番大事な存在である娘の命の危険をこれ以上冒せない。
そして、娘には自分より長く生きていてほしい。
私が生きているあいだ、どんなことがあっても娘を守りたい。
それらが摘出を覚悟したときの思いです。


不思議と、今は晴れやかな気持ちです。
これでよかったんだと、心から思います。妻も同じ気持ちのようです。

あたらしいステージが、はじまったようです。