網膜芽細胞種とわかってから一年

娘は1歳3ヶ月になりました。

網膜芽細胞種とわかってから、丸一年が過ぎました。

2008年6月28日、土曜日の夜、Webで調べものをしていた妻が、娘の目が光って見えるのは、ガンかもしれないって言い出し、あけて2008年6月30日の月曜日、家の近くの大学病院に受診したら、さらに専門の病院に紹介され、そして2008年7月2日に紹介された病院で網膜芽細胞種と診断されたのです。

あのころ、絶対に治す、いや治るべきだ、目を摘出なんてありえない、そう考えていて、親は強く気持ちを持たなくてはと、ひとりで勝手に思っていたわけです。
今思えば、もっと妻と話すべきだった。それが原因で、意見や思いのすれ違いがたくさんあり、いろいろ妻には迷惑かけてしまいました。

治療の結果、さらにいろいろあって、妻とも意見がぶつかり合って、、、保存の治療を続けていたのは、もちろん娘を思って考えていたことだけど、反面、娘の命を天秤に載せて、賭けをしていたんですね。

気持ちを整理したり、切り替えたり、自分の心を保とうとしたり、同じ境遇の親御さんから励まされて何とか一歩踏み出し、眼球摘出を決心できたけど、やっぱり、娘が何でこんな目にあうのだろうかとは、心のどこかでは、どうしても考えてしまうんですね。娘のことを考えれば、そのような思いはプラスにならないと言うのはわかっているつもりなのですが、どうしても少しは考えてしまいます。

片目が無い世界は、娘にとっては、残酷にも、避けようのない事実になってしまうのですが、僕や妻、そして世の中の大体の人が、それを想像でしか体験することの無い状況です。
多くの人はそのようなことを想像すらしないわけですし。身内や自分にそういう環境が無ければ、そんなこと考える必要ないですからね。

他の人が娘の状況をわからないということで、娘にとっては、自分は理解されないという思いが芽生えてしまうこともあるかもしれません。自分自身も適切に理解してあげられるのか、不安もあります。

娘の目には義眼が入っています。
義眼は、なんと言うか、大きなコンタクトレンズのようで、形は目の上側が長いちょっといびつな形をしています。
そして、義眼の目は、ちょっとしたことで目の中で回転します。義眼の上が長いという形のせいもあって、回転すると、黒目があさっての方向に向いてしまいます。
娘はまだ小さいので、目がかゆいのか、義眼を取り外してしまうこともありますが、そうやって弄ってしまうと、回ってしまうのですね。
何も知らない周りの人がみたら、きっと、驚くのではないでしょうか。

驚かなくて良い様に、ある程度の範囲の人に伝えておくことはできるかもしれませんが、娘はそのような状況をどう受け止めるのでしょうか。。。

逆に、義眼であることを隠すという状況も、いったい娘にはどのように受け止められるのだろう。
ありのままでいいのでしょうけど、それを娘が理解できる年齢まで、どうにか居心地がよい状況になるように、配慮してあげないといけないと考えているわけです。

いわれの無い、誹謗を受けてしまうこともあるのかもしれません。
強く育てたいとそう思いますが、何か保障ができるわけではないですよね。

こうやって、ブログで書いているのは、自分の考えをまとめるためと、妻への投げかけのためにやっているのです。正直なところ、答えなんてよくわかりません。

妻へは面と向かっては、全うなことを言っていたりしますが、やっぱり、自分の心の中のどこかでは、何か決めようの無い状況で、捕らえられないものと戦っていたりもするわけです。
ですが、僕は妻にとっては精神的な支えでありたいと考えていますから、どうしても、その場ではよさげな答えを提示して、何とか妻には幸せな気持ちで、何とか平静なきもちで、今がかわいい盛りの娘との生活を楽しいものにできるように、そう、僕なりに何とかしようとしているのです。
実際の僕はすごく弱いわけですね。そして、そんなにうまく振舞うこともできず、妻を傷つけてしまったりもしてしまいます。

娘には、生きていてよかったと、そう思えるように、自分は何ができるのだろう。なんでもするという気持ちはあれど、具体的な対処方法がわかっているわけではないのです。不安です。出たとこ勝負みたいで。
子育てなんて、そんなもの、つまりは出たとこ勝負なんだよって言う人が居そうですが、人それぞれおかれている状況が違うので、当たり前とはいえ、僕にとっての救いの言葉には、ほどとおいんですよね。
目の摘出をした最大の理由は、「生きてほしい」 だから、生きている意味に、私は戦いを挑んでいるのかもしれません。生きていてほしいなら、何で生きているか? 生きている意味って何だろうを、娘に見せていかなければならないと、そう感じているのです。

娘が生まれて、今生きていてくれているということは、僕にとって、ものすごく奇跡に近いことで、それのありがたさと向き合って、真摯にこの時期を過ごして生きたい。

心のなかは、なかなか平穏というわけには行きませんが、負けられません。

先日の定期健診も異常なし

特に問題なしでした。

網膜芽細胞種の子供を持つ家族の会、すくすく の定例会に参加しました

月一回の定例会があるそうですが、参加したのは結成15周年のシンポジウムで、100名近くの家族が集まっていたそうです。
医師、義眼師の方も参加しており、専門的立場でのお話や、成年された元患者さんの体験談、同じ病気をもつ親御さんと相談しあったり、ものすごくためになるひと時でした。

娘にどうやって病気を告知すべきか?
そのヒントをもらえた気がします。
元患者さんの体験談で、今思えばあの時・・・のような、告知を避けている状況について否定的な意見が聞かれました。
おそらくは、変に隠さずに、なるべく早いうちから、すこしづつ、病気のことを伝えていくのがよさそうな気がしていますが、本人の様子も考慮しつつやらないといけませんね。医師から、「告知のときに必要なら、医師もうまく使ってはどうか」というアドバイスもあり、勇気付けられました。
すくすく:http://pub.ne.jp/sukusuku104/

この定例会で、娘は初めて、両親から離れた保育を体験しました。
実のところ、定例会の途中で呼び出されるのではないかと心配もしていましたが、以外と最後まで保育されてくれました。迎えに行ったとき、ボランティアさんが抱っこしてくれていたので、かなり手のかかる子で大変だったはずなのに、良い子でしたよなんて言ってくれて、頭が下がる思いでした。

最近、自己主張が・・・

激しい性格のようで、ご近所様には、騒音でご迷惑をおかけしております。気に入らないと高周波の声で攻撃されるので、まいってしまいますorz
特に歯磨きの時は、一大事です。そのうち、児童相談所に通報されるかもしれません(汗
普通にしているときは、めちゃめちゃ可愛いのですが。。。